ユートライのあゆみ〜創世記〜
第二回定期演奏会プログラム他より
- 1984年
- 1月15日 合唱団ユートライ結成式(指揮者:小笠原聡)
- 6月17日 合唱祭参加
- 9月30日 全日本合唱コンクール県大会参加 金賞
- 1985年
- 2月11日 第1回定期演奏会(新潟市音楽文化会館ホール)
- 3月16日 法政大学アカデミー合唱団新潟演奏会に賛助出演(新潟県民会館大ホール)。指揮者:小笠原聡、演奏曲目は以下の通り。全てウィリアム・バードの曲です。
- Senex puerum
- Cibavit eos
- Ave verum corpus
- 4月29日 フレンドリーコンサート(KYUジョイントコンサート)I(巻町文化会館、指揮者:小林禎)
- 6月30日 合唱祭参加
- 10月6日 全日本合唱コンクール県大会参加 金賞
- Adorna thalamum tuum, Sion
- Victoria: Mass oquam gloriosum より
- 3月15日 第2回定期演奏会(新潟市音楽文化会館ホール)
- 4月29日 フレンドリーコンサート(KYUジョイントコンサート)II(東京サレジオ教会)。演奏曲目は
- ヴィクトリア『Missa O Quam Gloriosum』より「Credo」(指揮:小林禎)
- 武満徹『混声合唱のための「うた」』より「島へ」「○と△のうた」「さようなら」「さくら」(指揮:樋口渉)
- ジャン・バーガー「Brazilian Psalm」(合同演奏、指揮:栗山文昭)
- 7月16日 尚声会女声合唱団「るふらん 夏にうたう」賛助(新潟市音楽文化会館)。演奏曲目はブラームス「ジプシーの歌(Zigeunerlieder)」より(指揮:小林禎、ピアノ:関根京子)
- He! Zigeuner!
- Himmelgrabes Liebe
- Der Tanz
- Heiligem Eide
- Meine Abendstern
- 9月28日 合唱コンクール県大会 金賞、全日本理事長賞
- Super Flumina Babilonis
- 『まぼろしの薔薇』より「ひびきのなかに住む薔薇よ」
- 10月19日 合唱コンクール関東大会(青山学院大学)銀賞
- 3月28日 第3回定期演奏会(新潟市音楽文化会館ホール)
- 4月26日 フレンドリーコンサート(KYUジョイントコンサート)III(宇都宮市文化会館小ホール)。演奏曲目はブラームス「ジプシーの歌(Zigeunerlieder)」より(指揮:小林禎、ピアノ:関根京子)
- He! Zigeuner!
- Der Tanz
- Heiligem Eide
- Mond verhullt sein Augesicht
- Abendwolken
- Micky Mouse March
- When you wish upon a star
- Heigh-Ho Heigh-Ho
- 9月27日 合唱コンクール県大会 金賞、全日本理事長賞
- Zum Abendsegen
- 『地球へのバラード』より「夕暮」「地球へのピクニック」
- 10月11日 合唱コンクール関東大会(青山学院大学)銀賞
- 4月9日 第4回定期演奏会(新潟市音楽文化会館ホール)
- 7月10日 合唱祭(新井市民文化センター)
- 9月3〜4日 合宿(弥彦文化会館)
- 9月25日 合唱コンクール県大会 金賞、全日本理事長賞
- Spatherbst
- 『かみさまへのてがみ』より「かみさまへのてがみ」「てんごくってどんなかんじ」
- 10月16日 合唱コンクール関東大会(青山学院大学)銀賞
- 4月15日 第5回定期演奏会(音楽文化会館ホールが満員御礼)
- 6月18日 合唱祭
- 7月30日 合唱講習会(関東支部)講師:栗山文昭、高嶋みどり
- 10月1日 合唱コンクール県大会 金賞
- Il bianco e dolce cigno
- プーランク『ミサ ト長調』よりKirie、Gloria
- 10月15日 合唱コンクール関東大会(青山学院大学)銀賞
* * *
以下、三宅さんの「ユートライ創世記」を元に、ユートライ誕生の心意気を綴ります。
ユートライの初代団長は舘野育夫さんでした。
元OMP団員で、当時新潟フィルハーモー合唱団に所属していた舘野さんが新しい合唱団を作ろうと声をかけはじめたのが1983年10月。
新潟フィルの何人かのメンバー(遠藤さん、古野間さん、村松さん)と、
新潟大学合唱団の団員(中静(中林)さん、三宅さん、宗村さん、吉田さんなど)を引き連れ実際に旗を揚げたのが1984年1月15日でした。
この日を祝う伝統が、「団内コンサート」として残っていました(2007年1月現在、団内コンサートは行われていません)。
三宅さんは書きます。
『(舘野さんは)フィルのうまさを認めながらも、栗山さんの創る音楽とのへだたりを感じ、結局ユートライへとつながったわけです。全く知りませんでした。彼が栗山さんにあこがれていたなんて…。
「ターゲットは栗山文昭」
「弥彦」に参加し、ユートライと同じ頃つくられたUSA、ちょっと前にできたカロスの人々と交流し、KYU Friendly Concertの実現、「刺激があった方が伸びる。いい体験をすることでうまくなる」と考えた舘野さんは、とにかくいろんな企画をユートライに持込み、みんなからブーブー言われていました。かくして「事後承諾の舘野、後始末のまどか(初代副団長)」。
「ユートライで一番印象に残っていることは?」と聞くと、即座に「代々木公園でコンクールの前日歌った<地球へのバラード>と答えが。ピクニック気分で公園でお弁当を食べ、様々なゲームをし、自然やユートライのメンバーのぬくもりを感じた後、輪になって歌ったその歌でみんなひとつになれたと感じたという。』
技術的には栗山さんの合唱団に及ばなくても、メンタルな面ではよい演奏をしたい、それがUSAやカロス(どちらも栗山さんの合唱団)に影響を与えることがあったら、という夢があったといいます。
現在のユートライはUSAやカロスに何かをもたらすような合唱団ではありませんし、ユートライの目指すものも、「コンクール新潟一、夢は全国一」を目指す合唱団という舘野さんのイメジからは既に離れている気がします。しかし、舘野さんたちの熱い心と高い眼差しを忘れないでほしいということでしょう、三宅さんは元気のなかった一時期のユートライに向けて出した「ユートライ創世記」という檄文(あじびら(^o^))を次のように結んでいます。
『舘野さんの一週間は、日曜日の17:30(以前の練習開始日時)からのユートライのためにあとの6日間が存在していたようです。すごい! ユートライはいろんな意味で刺激的だったと彼は回想しています。何か事を起こすと団員に様々な反応がおこる。それがみんなに受け入れられようが、られまいが、団員ひとりひとりにとって刺激になる。それをみるのが楽しかったと。』