ユートライのあゆみ〜創世記〜

 三宅さんの「ユートライ創世記」を元に、ユートライ誕生の心意気を綴ります。
 ユートライの初代団長は舘野育夫さんでした。
元OMP団員で、当時新潟フィルハーモー合唱団に所属していた舘野さんが新しい合唱団を作ろうと声をかけはじめたのが1984年10月。
 新潟フィルの何人かのメンバー(遠藤さん、古野間さん、村松さん)と、
新潟大学合唱団の団員(中静(中林)さん、三宅さん、宗村さん、吉田さんなど)を引き連れ実際に旗を揚げたのが1985年1月15日でした。
 この日を祝う伝統が、「団内コンサート」として残っていました(2007年1月現在、団内コンサートは行われていません)。

 三宅さんは書きます。

『(舘野さんは)フィルのうまさを認めながらも、栗山さんの創る音楽とのへだたりを感じ、結局ユートライへとつながったわけです。全く知りませんでした。彼が栗山さんにあこがれていたなんて…。

「ターゲットは栗山文昭」

「弥彦」に参加し、ユートライと同じ頃つくられたUSA、ちょっと前にできたカロスの人々と交流し、KYU Friendly Concertの実現、「刺激があった方が伸びる。いい体験をすることでうまくなる」と考えた舘野さんは、とにかくいろんな企画をユートライに持込み、みんなからブーブー言われていました。かくして「事後承諾の舘野、後始末のまどか(初代副団長)」。

「ユートライで一番印象に残っていることは?」と聞くと、即座に「代々木公園でコンクールの前日歌った<地球へのバラード>と答えが。ピクニック気分で公園でお弁当を食べ、様々なゲームをし、自然やユートライのメンバーのぬくもりを感じた後、輪になって歌ったその歌でみんなひとつになれたと感じたという。』

技術的には栗山さんの合唱団に及ばなくても、メンタルな面ではよい演奏をしたい、それがUSAやカロス(どちらも栗山さんの合唱団)に影響を与えることがあったら、という夢があったといいます。

現在のユートライはUSAやカロスに何かをもたらすような合唱団ではありませんし、ユートライの目指すものも、「コンクール新潟一、夢は全国一」を目指す合唱団という舘野さんのイメジからは既に離れている気がします。しかし、舘野さんたちの熱い心と高い眼差しを忘れないでほしいということでしょう、三宅さんは元気のなかった一時期のユートライに向けて出した「ユートライ創世記」という檄文(あじびら(^o^))を次のように結んでいます。

『舘野さんの一週間は、日曜日の17:30(以前の練習開始日時)からのユートライのためにあとの6日間が存在していたようです。すごい! ユートライはいろんな意味で刺激的だったと彼は回想しています。何か事を起こすと団員に様々な反応がおこる。それがみんなに受け入れられようが、られまいが、団員ひとりひとりにとって刺激になる。それをみるのが楽しかったと。』